ランズパティキュラのすがすがしさ
私のフライフィッシングがドライフライから始まったため、フライタイイングを始めた時も、私は専らドライフライを巻いていた。最初はテンカラによく使われるようなハックルフライ、少し慣れるに従ってウィング付きのフライを巻いた。フライを巻くのに必要なマテリアルが、始めた頃とは見違えるように増えたとき、私は自分の好奇心のままに、当時持っていたパターンブックを開いて片っ端から巻き始めた。フライのパターンリストだけを頼りに見たこともないフライを巻くのは、この時から始まったのだが、数ヶ月でその数が300近くに達した。私にとってその作業は大変面白く、フライフィッシングの深遠なる世界を初めて垣間見た思いがした。同時に自分の創作によるフライ、つまりオリジナルパターンを作る夢も木っ端微塵に消え去った。
スピナーで溢れ返ったフライボックス。
外で羽根安めをしているのはランズパティキュラとイエローボーイ。
ドライフライを巻き続けて随分と長い期間、私はフライを何とか長時間、水面に浮かすことに全ての労力を注いでいたから、気が付いたときには浮き過ぎの弊害に悩まされることになった。浮かなければ困る、さりとて浮き過ぎも困る。良く浮いてしかも水面から余り離れない、そんな浮き方のフライが無いものか。私は既に巻き上げたリストの中から、気になったフライを幾つかピックアップした。それらは全てスペントウィングのメイフライであった。
メイフライには古くからスペントウィングやファンウィングのパターンが知られている。私はそれらを巻き上げると直ぐに川面に浮かべてみた。結果は余り芳しいものでなかった。先ずノーハックルのパターンは直ぐに水没した。ファンウィングのパターンは比較的良く浮いたが、普段使うには如何せん大きすぎる。
奥多摩でも桂川でも、ランズパティキュラの威力には驚くべきものがあった。
次に試したのはハックルティップをスペントウィングに使ったフライであった。これはなかなか良かった。第一、とても可愛らしい。最初に巻いたのはマーチブラウンのスピナーでグレートレッドスピナーという名のフライだった。初めて使ったとき、浮き方も、魚の出方も良いのに驚いたが、浮力が長続きしないのが難点だった。
ランズパティキュウラ。
次はずっと以前から気になっていたランズパティキュラを使ってみた。これには大きな衝撃を受けた。フライの浮き方は素晴らしいし、魚の出方も抜群。そして明るい天気なら良く見え、しかも更に驚いたことに、5匹以上釣っても沈まないでいた。ただ、一つだけ気懸かりだったのがボディの作り方で、パターンブックに記された、ロードアイランドレッドのハックルストークというのが腑に落ちなかった。おそらくボディに巻けばよいのだろうとハックルファイバーを毟り去ると、綺麗な茶色の皮も剥がれてしまう。私はハサミで根気よく、全てのファイバーを根本から切り取った。ところがそれで巻いてみると、切り取ったはずのファイバーが起きあがって、毛虫のようになってしまう。仕方なくカッターで切ったのだが、時間ばかり掛かってしまう。今から考えれば滑稽な話だが、裏側を使うことに気づくまで暫く時間が掛かった。それでも半信半疑だったから、1974年にジョン・ヴィニアードに会った時、それがやっと正しいと判り、一安心したのを覚えている。
1970年代以降、スピナーは私にとってヤマメ釣りの定番とも言えるフライになった。
桂川のオリーブ
私はテスト川のリバーキーパーだったウィリアム・J・ランのフライが何となく好きだったから、ランズパティキュラが持ち駒になったときはとても嬉しかった。その巻き方を解明してから、彼の作品であるホートンルビーやイエローボーイと言った歴史的に名高いフライを沢山巻きだし、次第にスピナーの持つ魅力と魔力に心酔していった。
その頃、3月の解禁ともなると私は迷わず忍野へ出かけたが、夕方までの時間を下流の桂川で過ごすことが多かった。桂川は水温が高く、3月の初めであっても、昼近くになるとヤマメが盛んにライズした。しかしそのヤマメを釣るのが大変だった。ライズを頻繁に繰り返しているにも拘わらず、なかなか釣れない。どんなフライを投げても少しは釣れるけれど、そのライズの量からして、到底満足できない数であった。ところがそれらのスピナーを使い初めてから様子が一変した。出てくる魚の数も針に掛かる数も、比較にならないほど増えた。それは明らかにフライの差によるものであった。
1975年頃に巻いたスペントバジャー。
金峰山の夏イワナ
初夏になるとまたイワナ釣りが始まる。数年間通い続けたおかげで、金峰山川も千曲川の本流も、そのほかの支流も随分と様子が判ってきた。ここでも課題となってきたのが渇水期の魚であった。魚が居ることは判っているのだが、フライに対する反応が鈍い。大きなプールにフライを浮かべると、1匹か2匹目までは素早く反応し、しっかりフライに飛び付くことが多いのだが、それ以降はフライの下で身体をくねらせるだけで終わるか、途中まで浮上して引き返してしまう魚が多かった。どうすれば魚の目を覚まさせることができるだろう。私は白や赤といった色、ピーコックの光沢、水面低く浮くスタイル、こうした魚の活性を高める要素を組み合わせたフライが無いものか、手当たり次第にあたってみたが、全てを備えていそうなフライを見つけることができなかった。
1970年代後半から私の写した写真の中のヤマメは、このフライをくわえているものが多くなった。
Vカットハックルのスペントバジャーたち。
それなら少し実験してみようと、一本のフライを巻いてみた。白は魚をいらだたせるから、白を基調としよう。但し、白だけではホワイトミラーのようになってしまうから、水面下から見たときのシルエットを明確にするために、内側に黒を使おう。そうすれば先端の白が見えにくくなるから、ハックルが少しくらい長くても大丈夫だろうし、テールを長くして浮力を稼ぐにも都合が良いに違いない。こうした理由でハックルとテールにバジャーを選んだ。ボディには魚を興奮させる色が良いだろう。濡れても変色せず、丈夫で浮力の大きいハックルストークを赤く染めたものを使った。ウィングもハックルと同じように白を使おう。但し水面低く浮かせたいから、ハックルティップを使ってスペントウィングにしよう。ハックルティップはコックよりヘンの方が白いものが容易に見つかるから、ウィングはヘンネックから調達しよう。
こうして完成したフライを持って千曲川に出かけた。結果は予想を遙かに超えるものだった。魚の出方が異常で、まるでフライに喧嘩を売っているように見えた。その有様から当初、そのフライはスペントバジャーと言うより、キチガイバジャーと呼ばれることが多かった。
私がほぼドライフライ一辺倒になっていた1970年代と、それ以降、引き続き渓流のドライフライフィッシングを楽しんだ、合わせてほぼ20年の間、最も多くの魚を釣ったフライがこの時誕生した。勿論、そんなフライになるとは想像もしていなかった。このフライの本当の恐ろしさを知るには、当時の私では経験不足であった。
-- つづく --
2006年10月03日 沢田 賢一郎