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渓流編  --第12話--

マリコの大ヤマメ

多摩川は上流で丹波川と名を変える辺りから谷が深くなり、支流は更に険しい谷が多くなる。1970年代、私はこの鞠子沢を皮切りに多くの支流を歩き回った。当時のことだから、フライフィッシャーマンは当然としても、その他の釣り人に会うことも殆どなかった。殆ど全ての沢に魚は居たが、綺麗な魚の多いこの鞠子沢に入る機会が最も多かった。暫くたってから地元の人に聞いた話では、僅か2、3年の間に3人の釣り人が滑落死したため、近頃は人が少ないのだと言う話を聞かされた。それからというもの、釣り仲間の間で「魔狸狐沢」などという当て字をするようになった時代があった。
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太古の昔からこの沢に住み着いたヤマメ。
成長するに釣れて独特のプロポーションとなった。

初めの数年間は4月の中旬から訪れるのが習いとなっていたが、スペントバジャーを手に入れてからというもの、次第しだいに早くなっていった。その鞠子沢に3月の半ばに初めて入ったときのことだ。3月の奥多摩は平地と違って未だ冬の気配に包まれている。午前10時頃に支度を終えて谷に向かった。幸い木々の枝の向こうに真っ青な空が見える。霜と薄氷に覆われた谷底を少しばかり歩いたところで私は思わず足を止めた。そこは両岸が狭まり、頭上に細い空が川のようにうねって見える場所だったが、その日は暗い岩肌が一面の氷で覆われ、まるで銀色の滝壺にでも下りたようだった。私は暫くその美しさに見とれていたが、直ぐに、こんな沢に入って本当に魚釣りが出来るだろうか心配になってきた。狭い谷底を抜けると、川は雑木林に入る。3月は木の芽が全く吹いていないから、空が良く見える。

少し上っただけで、5月よりずっと明るい景色が広がってきた。山の上は北風が吹いているのに、ここは日溜まりで暖かい。目の前にプールが見えてきた。この谷に入ると何時も最初に釣り始めるプールだ。今年はどうだろう、魚はどのくらい居るだろう、こんな季節でも釣れるだろうか、そんな不安に駆られながらロッドにラインを通していると、プールの真ん中に波紋が見える。もしや、いや何かの間違いでは。私はラインを摘んだ手を止めて水面を凝視した。間もなくそれが間違いでないことが判った。ほぼ同じ場所にユラッと影が映り、静かに波紋が広がった。シーズン初めで僅かに高ぶっていた気持ちが、忘れかけていた緊張の真っ只中に向かって、いっぺんに上り詰めていく。私は自分でも滑稽なくらいどきどきしながら、6フィートのリーダーの先に16番のスペントバジャーを結んだ。
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解禁といっても、3月はしばしばこんな天気に見舞われる。

プールまでもう少し近づいた方が良いだろう。私は枯れ枝を踏まないよう気をつけながら、落ち葉の上をそっと歩き、片膝を付いて慎重にラインを伸ばした。距離はたかだか5メートルほどしかないが、周りは枝だらけだ。フォルスキャストを極力省いて、フライを波紋の上流側に浮かべた。渇水の淵に浮かんだスペントバジャーは、焦れったくなるほどゆっくりとしたスピードで流れている。それに向かって黒い影が同じようにゆっくり浮上し、波紋と共にフライを吸い込んだ。静かにロッドを起こすと、心地よい振動が伝わってくる。色が濃いがもうサビがとれている綺麗なヤマメだ。一目で20センチを越えているのが判る。その辺りは何時も細かい魚しか釣れたことがないから、良いサイズと言うべきだろう。やはり早く来て良かった。
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山はまだ枯れ葉に覆われているが、水の中は春の気配が漂っている。

私はわくわくする心を抑えながら更に上流に向かった。途中にある落差の大きい岩場を越えてからと言うもの、陽の当たっている淵なら何処でも魚が出てきた。やがて中間部にある最も大きなプールに着いた。そこはこの沢に来る度に必ず何かが起こる、私にとって大好きな淵だった。

頭の部分に重なり合った大きな岩があり、その隙間から小さな滝のようになって流れが落ち込んでいる。そんな流れ込みにも拘わらず、いつもは広くて浅い開きがこの谷の規模に似つかわしくないほど広がっていた。しかしやはり3月だ。渇水の淵は浅い水たまりのような開きしか持っていなかった。私は平水であれば何時も魚が居るその開きを注意深く眺めた。20センチにも満たない深さの水たまりには何も見えなかった。次いで落ち込みの岩の下を見た瞬間、私の視線はそこに釘付けになった。ヤマメが泳いでいる。大きい。一体何センチ有るだろう。パーマークも顎のしゃくれ具合もはっきり見える。信じられない。どうしてこんな大きなヤマメが居るのだろう。

ヤマメは私に背を向けたまま悠然と泳いでいる。時折身体をくねらせて横を向いたり浮上しているから、流れてくる何かを食べているのだろう。夢にしか見ることの出来ない絶好のチャンスだ。まるで落ちているイワナを拾うようなものではないか。私にはそう思えた。しかし、その気持ちとは裏腹に、急に息苦しくなっていくのが判った。
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直径5メートルほどのプール。この沢では最大級の大きさだ。

私は自分自身に懸命に話しかけた。落ち着け、こんな時は先ず動かないことだ。全ての動きを停止しろ。気配を消せ。ここには自分一人しか居ない。誰にも邪魔されないし、時間も充分ある。

暫くして、私は魚の姿をまるで映画でも見るように平然と眺めていた。魚の動きの中に、私の存在や危険を察知している兆候は全く無い。私はゆっくりとラインを引き出し、足下に落としていった。ヤマメまでの距離は5メートルを少々越えるくらいだ。一投めにフライをヤマメの目の前に落とすこと。2投目でなく断じて一投目に。私はたった一つ、それだけを考えた。

落ち込みの直ぐ上に左右から張り出した大きな岩が重なり合っている。ヤマメの前方にフライを浮かべるために、その岩の下にフライを送り込みたい。さもないとフライが魚の真上に落ちてしまう。後ろのスペースを考えると、真っ直ぐ下流から投げるのが安全だ。ただ左側から張り出した岩が邪魔をしている。ここは気懸かりな後ろの枝を何とかクリアーして、右側からラインを伸ばすのが得策だろう。そうすればラインが魚の上に落ちることも避けられる。
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イタドリが生い茂る頃になると、沢は最盛期を迎える。

私は周囲を見渡しながら身体一つ分右側に移動し、慎重にラインを伸ばした。視界に悠然と泳ぐヤマメの姿と、それに向かって伸びていくラインが重なって見えた。上手くいった。ラインが右側の岩肌をかすめて伸び、スペントバジャーの小さなシルエットが落ち込みの泡の切れ目に現れた。ヤマメの反応は素早かった。水面に浮いている白い固まりに向かって一直線に近づいた。私はその直後、ヤマメが大きな口を開けてフライを飲み込む光景が見えたような気がした。奴は確かに大口を開けた。しかし急に下を向き、そわそわした様子であちこち向きを変え、その直後に岩影に姿を消した。一体何が起こったのだ。私は一瞬、狐に摘まれたようだった。しかし大ヤマメと同時に岩影に逃げ込んだ小さな黒い影を見たとき、全てを察した。

私は右側の岸に沿ってラインを投げた。そのごく浅い岸際に小さなヤマメがいた。頭の上に落ちたラインに驚いたヤマメは、一目散に落ち込みに逃げ込んだ。大ヤマメはそれを見て、危険が迫っていることを察知してしまった。何という不運だろう。あんな小さなヤマメ一匹に邪魔されるなんて。今度は投げる前にもっと丁寧に周囲を観察しよう。そう思うしかなかった。
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小さな沢では大型魚の大部分が春先に釣れる。

1ヶ月にも思えるほど長い長い一週間が過ぎ、私は再び鞠子沢の谷間を遡行していた。今度こそ絶対に釣り上げるぞ。この一週間、そればかり口にしていた。下流のポイントを釣っている間も、あのヤマメのことが気になって落ち着かない。早くあのプールに行きたかったが、自分自身を落ち着かせるために、途中のポイントをわざと丁寧に釣り上がっていった。やがて件の淵を見上げる所までやって来た。もしかすると、今日は小ヤマメが開きに出ているかも知れない。私は同じ失敗を繰り返さないよう、淵が見えない所でフライとリーダーの点検を終え、静かに岩を上った。

淵を見渡せる岩の上に立ったとき、妙な感じがした。景色が違う。私は我が目を疑った。目の前にある筈の落ち込みが無い。そこには大きな石と砂利が積み重なっている。その下に見覚えのある色の岩肌が僅かに覗いていた。石をなぞるように見上げた目に、赤く抉られた山肌が映った。そうか、山が崩れ落ちたのだ。私はもしやと、奇跡を信じて暫く上まで釣り上がったが、無駄だった。鞠子沢最大のポイントはこうして大ヤマメと共に消えてしまった。この原稿を書いている今でも、私には揺らめく大ヤマメの姿が鮮明に浮かんでくる。

「次のチャンスに釣ればいい」と思っても、そのチャンスは永久に巡ってこない。釣りの世界は一期一会と言うことを、本当に思い知らされた。

-- つづく --
2001年06月24日  沢田 賢一郎