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渓流編  --第18話--
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炎天下に浮上した大型のヤマメ。渇水期は餌が不足するため、魚体が細くなる。

灼熱、渇水


梅雨が明けると高原川は景色が一変する。水を見ただけで緊張するような雪代後の流れは日一日と大人しくなり、やがて広い河原の中を申し訳なさそうに流れるだけの川になってしまう。日中は目を開けているのが辛くなるほど河原が眩しくなり、夕方になると川にはぬるま湯のような水が流れていた。魚もその暑さに辟易としているせいか、薄暗くなり始めた頃にやっと顔をだす。一日の時間のうちで、それはほんの束の間であった。そんな季節は昼間のあいだ源流帯に出掛けるのが習わしになっていたが、本流に大型のヤマメの数が多い年など、イブニングライズの一時だけでは我慢できなくなってくる。何とか昼の間にも釣ることができないものかと、無駄を承知で試し始めた。
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雨と雪代によって増水した高原川。殆どのポイントがつぶれてしまう。
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夏の平水時。水量が雪代の季節の半分にも満たない。

真夏の炎天下に渇水の川を釣る。言葉で表せばそれだけのことで、釣り場から離れているときなら様々な可能性が頭に浮かぶのだが、現実は大違い。源流帯や日陰の多い川でない限り、河原に立っただけで気が滅入ってくる。それでも大型のヤマメが居ることは確かだったから、私は幾度となく灼熱の川に向かった。午前10時を過ぎると高原川の河原は巨大なフライパンのような様相を呈してくる。見渡す限り僅かな日陰さえもない川原に、釣り人の姿は誰一人として見えない。
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真夏の渇水。夕方になっても河原には熱気が満ちている。

さてどんなフライから試したものだろうか。私は16番のワイルドキャナリーを結んで釣り始めた。強烈な陽の光が浅くなった川底の隅々までをも照らし出している。水温が急上昇しているから、源流の魚のように、太陽光線を避けて岸沿いの大石の影に潜り込んでいる魚は居ないだろう。そんなところに潜っていたら酸欠になりそうだ。水量が減っているせいで、流れが大人しい。少し前ならまともに浮かないサイズのフライが、川中何処でも綺麗に浮いて流れてくる。釣り始めて30分ほど経過したとき、大きな岩が重なり合って川の真ん中に鎮座している場所に差し掛かった。磨かれたように滑らかな岩肌の上を絞られた流れが滑るように落下し、下流側の岩を抉るように流れ出している、まるで水路のような落ち込みを作っていた。この渇水の川には珍しいくらい水通しの良い場所だった。私の投げたワイルドキャナリーはその水路を滑り台に載ったように降りてきた。私はその流れ方が何となく気になって、いつもの倍以上の回数、多分5,6回同じようにフライを流した。これで最後にしようと思って投げたフライに、その大ヤマメは突然姿を現した。速い流れの中で、褐色の身体をまるで時が止まったかのようにゆっくりとくねらせ、フライをとらえた。持ち上げたロッドに魚の重さがが伝わってきたというのに、ヤマメは気にかける様子もなく泡の下に姿を消し、同時にフライが返ってきた。私はしばし幻を見たような気分にとらわれていた。白昼夢とはこんなものなのだろう。
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大きなヤマメ2匹。真夏まで残る魚は少ないが、大部分が30センチを上回る。
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渇水期の昼間、さすがのイワナも眠ったように反応が鈍くなる。
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10番のワイルドキャナリー。よそ見しても大丈夫なほどよく見え、しかも炎天下で大ヤマメを挑発する。

暫くして我に返っても、未だ直前の出来事が信じられないでいた。私はフライを直ぐに投げ直した。それまでより多い回数投げ直したが、ヤマメの姿は見えない。当然であった。もう一度出てくる方が余程おかしい。悔しさがこみ上げて来るのと同時に闘志の目が覚めた。
私はフライを10番のワイルドキャナリーに結び換え、それまでと比較にならない速さで釣り上がり始めた。魚はこの炎天下でもフライに出る。しかし特別水通しの良い場所を狙う必要がある。大型魚が餌不足で腹を空かしているのだから、フライのサイズを大きくした方が良い。魚に活性が無いから小さなフライの方が良いだろうと思って、初めに16番を結んだのは失敗だった。しかし魚は半分眠ったようになっているだろうから、ここはと言うポイントをしつこく攻める必要があるだろう。これが目を覚ました私が出した結論であった。真夏に酸素の豊富な水通しの良い流れを釣るのは、子供の頃からの鮎釣りで慣れている。私は流れのよどんだプールや巻き返しを捨て、石の大きな瀬に点在する特別のポイントに的を絞り、その流れのサイズに全く不釣り合いなほど大きなスピナーを使って魚を挑発し始めた。数時間の後、私は30センチを軽く越える見事なヤマメを二匹手にしていた。

-- つづく --
2006年10月03日  沢田 賢一郎