テレストリアルのおおらかさ
9月に入って暫くすると、湖の様子が変わってきた。周囲の木々に紅葉が始まり、朝の風が吹き始める前は湖面に無数の落ち葉が漂っている。傘のように枝を広げて日陰を作っていた木々も、葉が減るに釣れて次第に透けてきた。それと共に、岸の側に居着いていた魚の数が減ってきた。何よりライズが少ない。朝のうち少しばかり跳ねるだけで、10時頃になると静まりかえってしまう。ところがその時間になると、湖のほぼ中央でライズが起き始めた。初めのうち、そのライズは散発で、場所もまちまちだったが、時間と共に数も多くなり、範囲もせまくなってきた。私は岸近くを回りながらその様子に目をやっていたが、遂に我慢できなくなり、沖に向かってボートを漕ぎ出した。
氷の下から現れたブラウントラウト。銀色の身体が眩しい。4月の末、丸沼は未だ雪と氷に覆われている。
ライズが最も頻繁に起きていたのは、ダムサイトの付近だった。勿論岸から何十メートルも離れているから、何の拠り所もない。そんな所に多くの魚が居着くとは思えないから、何故まとまってライズが起こるのか不思議でならなかった。この辺りと思しき場所に近づいた時、私のボートの直ぐ横でライズが起こった。遊んでいるのか、何か食べているのか。食べているのだとしたら、一体何だろう。私は周囲の水面に目をやった。10m程先になにやら小さな固まりが浮いている。あれは何だろうと目を凝らした途端に、ライズと共にそれは消えた。魚は何か特別なものを食べている。
11時を回った頃、波ひとつなく静まりかえった水面にそよ風が渡り始めた。すると空からぱらぱらと虫が降ってきた。目の前の水面に落ちたのは鮮やかな色をしたカメムシだった。グリーンとイエローの他に、背中が地味な茶色なのに腹が鮮やかなオレンジのものもいた。それらが水面に落ち始めるのと同時に、ボートの周囲で派手なライズが起きた。レインボーはこのカメムシを食べていたのだ。私は直ぐに立ち上がり、ラインを伸ばしてライズに備えた。
サビの残った雄のブラウン。フライは本栖湖のモンスターキラーとなったフィエスタ。ドライフライの季節には未だ間がある。
モグラ叩き
ボートの周囲でライズが頻繁にあるものの、なかなか丁度良い場所で起きない。全く予期していない場所でライズが起こる。と言っても予測する方法が無いのだから仕方がない。20m程先のライズに程良いタイミングでフライを投げたと思ったら、目の前5mにも満たない所でライズがあり、あわててラインを手繰ったりと、最初のうちは上手くリズムに乗れなかった。それでも3匹目を釣る迄に様子が分かってきた。魚は水面のカメムシを求めて付近を泳ぎ回っているが、その速度が、今まで釣っていた岸の側を回遊している魚よりかなり速い。ライズを見つけてフライを投げても、時間が経過した後では無駄になる。理想的には3秒以内、限界でも5秒以内にフライを目的の水面に浮かべたい。
丸沼ではライズを予測するのもドライフライ・フィッシングの大きな楽しみ一つであった。
グリーンペッパー。日陰に置くと見にくいが、魚の反応は何時も安定していた。
私は一つの釣り方を思いついた。自分の守備範囲を決め、それ以外の場所で起きたライズを無視する作戦に出たのである。私の守備範囲は目の前に浮かべたラインを中心に左右45度ずつ。距離は最大20m。それと全く同じ範囲を後ろ側にも設けた。ラインを10m程伸ばして水面に浮かべておくと、その範囲で起きたライズには3秒以内にフライを届けることができた。予めフライを浮かべて置いた場所から近いライズに対しては、ラインをピックアップし、最初のフォワードキャストでフライを投げてしまう。つまりウェットフライキャストを行う。15m以上の場合にのみ、一度だけフォルスキャストをした。
後方に同じ守備範囲を設ける事を不思議に思われる方も多いと思う。後ろで起きたライズに対しては、距離さえ問題なければバックキャストでそのままフライを投げてしまう。そのため都合の良い場所でライズが起こると、信じられない程のスピードでフライを投げることができた。後ろを振り返ったままフライを投げるため、魚が出るとフォワードキャストをするようにフッキングする。これが何とも愉快だった。
風が吹くたびにぱらぱらとカメムシが降ってくる。周囲の山には満遍なくカメムシが居るのだろうが、風の通り道のせいで、この辺りの水面に集中的に落下するのだろう。
カメムシやその他の陸生昆虫をイメージしたドライフライ。丸沼で大活躍した。
タバスコ。辛口のメキシカンチリ・ソースと同じくらい効き目が強い。赤と青のチリをイメージして作ったが、極彩色のカメムシに良く似ている。モグラ叩きに抜群の性能を発揮した。
時計の針が午後二時を回った頃から、急にライズが減ってきた。水面に落ちているカメムシの姿も見えない。楽しいモグラ叩きも終わりである。こうした状況が10月の終わりまで続いた。朝夕、岸近くを回って居着いている魚を狙い、日中は湖の真ん中で起きるライズを狙うと言う釣り方のパターンがすっかり定着した。もぐら叩きができるほどのライズが起こる時間は短い。良くて2時間程度だから、釣りをしている時間は岸周りの方が圧倒的に長かった。ところが釣れる魚の数は全く逆で、8割以上をそのモグラ叩きによって釣ることは珍しくなかった。
カメムシにライズしているときのレインボーはとても攻撃的で、フライに激しくアタックしてきた。しかしそれでも直前で引き返したために、フライが水面でゆらゆらと揺れる事が何度もあった。私は2回目のモグラ叩き迄の間に、幾つかの新しいフライを用意した。皆、極彩色のカメムシをイメージしたものである。グリーンペッパーやタバスコと言ったフライは、実に良くレインボーに好かれた。
-- つづく --
2001年09月02日 沢田 賢一郎