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サクラマス編 • 黎明  --第29話--
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1970年、芦ノ湖で釣ったレインボー。当時、芦ノ湖にニジマスが生息していることは、未だ誰にも知られていなかった。標識のため背びれをカットしてある。この魚も、私のニジマスに対するイメージを大きく変えた。

美しい魚 --- 夢のまた夢

スティールヘッド。初めてその名前を聞いた時から、何となく胸騒ぎがしていた。鉄の頭と言ったその不思議な名前が、魚の頭の色から生まれたことを知った後でも、はがねの持つ強靱なイメージがその魚と見事にオーバーラップして、その名前を口にするだけで気持ちが高揚した。

1971年に釣り上げた私にとって最初のスティールヘッドは、凡そ10ポンドほどであった。10ポンドもあった。ではなく、僅か10ポンドしかなかった。そう言うサイズだったが、同時に釣れたコーホやドリーバーデンと、明らかに異質の魚、少なくとも私はそう感じた。それが、私の求める美しい夢の魚であったことに間違いなかった。
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放流後、数年経過すれば、餌が少ない場所でもニジマスは大きく育つ。

最初の海外釣行は、将来の目標である夢の存在を知っただけで、大きな収穫だった。但し、そう言う魚が本当に居ることが判ったと言っても、たかが一匹の小さなステールヘッドとファイトしただけで理解できることなど、ほんの僅かであった。もしも、当時の私が今と同じような経験とノウハウを持っていたら、その一匹の魚を釣り上げただけで、かなり多くのものを学び取ることができたと思う。そうすれば、その後の世界が随分と変わったものになったろう。

しかし「もしも、、、、」から続く話など、この世界にあって、決して語ってならない言い訳の筆頭である。あらゆるテクニックもノウハウも、それを身に付ける特別の近道など無い。それを願うのは、結局のところ無い物ねだりにすぎない。
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源流のヤマメ。小さくてもそれなりの風格を備えている。
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「この川の主は俺様だ」渓流に住むヤマメは、尺を越えるとそんな顔付きをしている。

確かに、その時代の日本で釣りをする限り、キング・サーモンもコーホもスティールヘッドも、日本に居ないと言う理由で対象魚とはならなかった。しかし、私の腕前と当時の状況を考えれば、例えそうした魚が日本に居たとしても、全く歯が立たなかったろう。釣り方も判らない、道具もない、フライもない、もし有っても使いこなせない。それはカナダでの経験によって明らかで、当時、そうした魚とまともにわたりあうのは、夢であって当然だった。

ただ、初めてのカナダツアーは、私が自分に足りないものが沢山あることを自覚したことで、釣りそのものを考え直す転機となった。大物を釣りたい、美しく格好いい魚を釣りたいと言う気持ちは、ますます強くなる一方だったが、その願望を念仏のように唱えていれば済む問題ではなかった。私は先ず国内で釣れる魚の中にその大物を求めた。昔に戻って、その種族の中の大物を釣り上げることに再び専念した。私が将来、夢を叶えることができるとすれば、そうした釣りをすることが、目標に近づく唯一の道となることを、何となく感じていた。
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どれも同じ魚なのだろうか。イワナは生息環境によって、まるで別の魚のように姿を変える。
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1970年代前半、私は渓流に出かけると、短いロッドでドライフライを投げることを好んで行った。

ヤマメもイワナも、最も大きい奴を釣りたい。大物が居る場所を探し、それを釣り上げることを何時も夢見たが、同時に普通の渓流に行けば、例え絶対的なサイズが小さくても、その谷の主を釣りたいと思った。距離を置いて自分の釣りを眺めるとおかしなものだ。藪沢に入ると、25cmしかないその沢の主のようなヤマメを釣って、大いに感動した。ところが、その帰り道に桂川に寄ると、釣れたヤマメが35cmしかないと言って悔しがった。

私の当時のホームグラウンドとも言うべき釣り場に、桂川、忍野、本栖湖が含まれていた。この3カ所の釣り場は日本でも特異な環境にあった。富士山の湧水を水源とする忍野とその下流の桂川、そして本栖湖はそこに住む魚達を急速に育てる。ヤマメもブラウンも孵化後一年で25cm以上に育ち、2年半で40cmに達する。本栖湖は1年で35cm、2年で50cm、早いものは4年以内に70cmに育つ。こうした環境で釣りをしていると、サイズに対する感覚がおかしくなる。尺ヤマメは藪沢では巨大魚、普通の渓流でトロフィーだが、忍野で釣る限り、未だ幼魚でしかなかった。
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源流の魚止め近くで釣り上げたイワナ。不気味で、何か得体の知れない凄味を醸し出している。
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美しく釣りたい

こんな感覚が「美しい魚」、「迫力に満ちた格好いい魚」に対する、私なりの概念を築いていった。すなわち、群れの中で頂点に君臨する格好いい魚、例え絶対的なサイズでそれほど大きくなくても、見る者を圧倒するほど凛とした表情と凄味を持っている魚。そして、勿論、巨大な魚が私の中で美しい魚として育っていった。

どうせ釣るならそうした魚を釣りたい。それが簡単ではないことは十分すぎるほど知っていた。しかし、そうだからこそ釣りたいと思った。そのために、あらゆるノウハウを習得し、キャスティングの技術を磨いた。同時に、何か新しいアイデアが見つかると、直ぐにそれを実践することにした。

子供の頃から様々な釣りを経験してきたおかげで、名人と言われた多くの先輩や職漁師から様々な魚捕りの必殺技を教わってきたし、自分でも奇想天外なアイデアをよく思いついた。目当ての魚を捕まえるのに手段を選ばないと言うのなら、それらはとても優れた方法であったが、私はそうした魚を、必ずフライフィッシングのルールに則って釣ると決めていた。どんなに大物が欲しいからと言って、牧場の牛をライフルで撃ったり、鶏を散弾銃で撃つような釣りは、格好悪くてするつもりはなかった。

-- つづく --
2001年12月02日  沢田 賢一郎