www.kensawada.com
サクラマス編 • 第1ステージ  --第35話--

挑戦 -- パワーウェット

アングラーとして初めて九頭竜川を見てから、既に5年が経過していた。その間に私の釣りは大きく変化していた。狭い渓流を釣る機会が減り、替わって広い本流を釣る回数が増えた。最大の理由は、より大きな魚を釣りたいことに変わりないが、道具と技術の進歩がそれを可能にしていた。

毎年のようにカナダに出かけ、コーホー(シルバーサーモン)、チヌーク(キングサーモン)そして最大の目的であったスティールヘッドを釣りながら、後にパワーウェットと呼んだ新しい釣り方を熟成させてきた。その時期にサクラマスを釣り始める。正に誂えたようなタイミングだった。
ff-35-1
一面の銀世界。河原が雪で覆われることは少ないが、年に数度はこんな景色が見られる。

九頭竜川でサクラマスが時々釣れていることは知っていたが、全てルアーによるもので、フライの実績は勿論ないし、行う人も皆無だった。サクラマスを釣ることが違法でも何でも無いことがはっきりしても、大方の意見は、フライで釣れる訳がない。川に行くことだけでも無駄だから、馬鹿なことは止めろと言うものだった。私はずっと以前から釣りをしたくてうずうずしていたから、誰が何と言おうが全く意に介さなかった。しかし九頭竜川は東京から遠いし、その時々の川の様子も判らない。せめて状況だけでも知らせてくれる人が居ないかと思っている所へ、森さんという方が協力を申し出てくれた。森正幸さんは岐阜にあるテールウォークという名のフライショップのオーナーで、付近の様子に詳しいだけでなく、誰も釣ったことのない魚を釣る話にいたく共鳴してくれ、一緒にチャレンジすることになった。
ff-35-2
橋の上から増水した川を眺める。何か言いたいのに声が出ない。

銀世界

初挑戦は2月の末に実現した。岐阜で森さんと落ち合い、そこから関ヶ原を経由して福井に向かった。岐阜は2月とは思えないほど暖かかったが、北陸道に入ると急に寒さが増し、道端に雪が見え始めた。目的地の九頭竜川に着いた時、橋の上から川を見渡して、暫く立ちつくしてしまった。土手も広い河原も、水際に至るまで一面の銀世界だった。広大な河原を覆っている雪原の所々に、ススキや茅の穂先だけが見えている。それだけで雪の深さが判ろうと言うものだ。勿論、見渡す限り一筋の踏み跡も無い。我々は途方に暮れながらも、国道8号線の際から河原に降りることにした。

この様子ではとても釣りになるまい。誰もがそう思う景色を前にして、私ひとり心が弾んでいた。15フィートのランドロックにサーモンリールを付けるだけでも気分が高揚してくる。

支度を終えると、我々は腰まで雪に埋まりながら何とかルートを探し出し、漸く水際に降り立った。遂に九頭竜川でサクラマスを釣る時がやって来たのだ。私はそれだけで嬉しかった。目の前の瀬が浅く流れが急で、この季節に魚が居る訳がないことを客観的に理解しているのに、そこに居るもう一人の自分が楽しげにフライを投げ始めた。
ff-35-3
突然の吹雪に見舞われる合流点プール。

私の立った場所は、土手から小さな沢が流れ込んでいるおかげで、雪の量が少ない。ところが水際を20メートルほど歩くと、そこから先は雪の壁ができている。岸の傾斜や水際の様子からして、川岸が平坦であるように見えない。様子が全く判らない川で、これ以上歩くのは危険すぎる。我々は再び雪をかき分けながら土手を上った。

桜の花が咲くまでとても待てないから来てしまったが、それにしても2月は早すぎた。せめて雪が消えて周囲の様子が判るまで待って出直そう。厭でもそう結論を出すしかなかった。僅か数十分の釣りだったが、私にとって記念すべき釣りがスタートした実感だけは十分にあった。
ff-35-4
1986年、濁流の九頭竜川を避けて、初めて神通川を釣ってみた。

濁流

一ヶ月が過ぎ、3月の末になった。私はもうそろそろ良い頃だと思って準備を進め、森さんに問い合わせた。彼は直ぐにあちこちの釣り仲間に連絡を取り、川の様子を調べてくれたが、雨が降ったおかげで川は濁流と化しているという知らせが返ってきた。私は又しても出鼻をくじかれてしまったが、自然現象には勝てない。仕方なく再挑戦を翌週に延ばすことにした。
ff-35-5
雪代で増水し、岸がすっかり消えた機屋裏(はたやうら)。

翌週、東京はサクラが満開となった。サクラが咲く頃に遡上するからサクラマスと呼ばれている。東京と福井の気候がどれほど違っていても、そのサクラが満開と言うことは、九頭竜川にサクラマスが遡上しているに相違ない。私はその日を正に一日千秋の思いで待った。

落ち合う時間の打ち合わせをしようと思っているところに、森さんから早々と連絡が入った。この数日間、川の様子が順調だと言うことだった。私は本当に期待に胸を膨らませて九頭竜川に向かった。
ff-35-6
晩春の足羽川。福井市内で九頭竜川に流入する。早い時期からサクラマスが遡上することで知られている。

四月の北陸道は前回とはまるっきり景色が変わっていた。その穏やかな春の気配から、一ヶ月前の気候はとても想像つかない。一面の雪に覆われていたなんて、夢だったのではないかと思ってしまう。やがて福井に入り、高速道路の上から足羽川を見た時ドキッとした。天気が良いのに濁っている。足羽川は九頭竜川の支流だから、大いに気になるところだ。

やがて高速道路を降り、九頭竜川に架かる橋にやって来た。何はともあれ、急かされるように下を覗いて愕然とした。濁流が渦を巻いて流れている。前回は銀世界、今度は茶色の絨毯に河原が埋め尽くされている。何という不運だろう。前日に山沿いでまとまった雨が降ったらしいと言う情報を得ていたが、まさかこんなことになっていようとは、考えもしなかった。

川の様子は、単に増水で濁ったと言える程度ではない。どう転んでも、一日で回復するようには見えない。私はまたまた門前払いを食った形になって、仕方なくヤマメを釣りに岐阜に戻らざるを得なかった。

-- つづく --
2002年01月13日  沢田 賢一郎