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渓流編  --第4話--
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西山温泉の上流、雨に煙る野呂川の入り口。この付近はなだらかな河原が広がっていた。

キラービーの誕生

小滝の源流で眠ったようなイワナに戸惑いながらも、それから暫くの間、そうした魚のことをすっかり忘れていた。もう一度会ったら、今度は何とかしなければと考えてはいたのだが、あれ以来、寝ているような魚に巡り会わなかったからである。

同じ頃、私がよく通った川に早川と言う名の渓があった。南アルプスから流れ出す沢で、富士川の源流の一つであった。流域に湯治場として有名な西山温泉があり、その付近から上流は野呂川渓谷と呼ばれていた。この渓は巨岩が累々と続く谷底を水晶のような水が流れる、本当に素晴らしい渓であったが、私が頻繁に通うようになって5年ほど経ったとき、南アルプスを縦断した大型の台風によって壊滅的な被害を受けてしまった。広河原と呼ばれる登山口に大きな山小屋が建っていたが、それが跡形もなく消え去り、下流の美しい渓谷は砂と瓦礫の山と化してしまった。数年後、道路が復旧したときに見に行ったが、全く無惨な状態だった。それから暫く後、源流にスーパー林道なるものが完成し、現在は当時から見ると全く隔世の感がある。ここ数年、砂に埋もれた下流域が僅かずつではあるが復元しているのは嬉しい限りだ。
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1970年代の後半、この渓は巨岩と大淵が連続する本当にダイナミックな流れが続いていた。

野呂川の夏

その野呂川には、道路が開通する5月の中頃から出かけるのが常だった。シーズン中頃までは充分な水量に恵まれているが、真夏に決まって渇水になる。そうなると巨岩の間の水たまりを釣って歩くようになる。ただでさえ水が澄んで、水中が良く見えたくらいだから、渇水ともなると、川中丸見えである。かなり遠くからでも泳いでいる魚が見えてしまうので、私もなるべく離れて釣る。しかしこれが野呂川の最大の魅力で、広い淵や細くて長い瀬を20メートル近く離れたところから思い切りラインを伸ばして釣っていると、これこそフライフィッシングの醍醐味と言う気持ちに包まれ、痛快で幸福だった。千曲川本流にはこうしたポイントが沢山あったが、金峰山川には幾らも無かったからだ。
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背中がオリーブ、腹がオレンジ色の美しいイワナが多くの淵に群れていた。
このイワナは10番のフライを一瞬の内に飲み込んでしまった。

やがて渇水が更にひどくなると、魚の姿が見えなくなる。遠くから見えるような陽当たりの良い場所に出てこなくなるためだ。こんな状況に出くわすと、思い切り小さなフライを使った。18番のフックに巻いたグレーセッジやシルバーセッジ、シナモンセッジ、ウィングドカペラーと言ったフラットウィングのフライを流れが殆ど無くなったプールの真ん中に浮かべた。大きなプールには日中でもクルージングしながら餌を探しているイワナやヤマメが一匹くらいは居るもので、そんな魚がフライを目聡く探し当ててゆっくり近づき、静かにくわえた。
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渇水になると、プールから離れて釣るのがとても楽しい。

そんな魚を釣り上げてしまうと、淵の中はすっかり静まり返ってしまう。渇水になる前にかなりの数の魚を見ているものだから、不思議で仕方がない。一体あの魚達は何処へ行ってしまったのだろう。そう思ってプールの中を注意深く探すと、日陰になっている倒木の下や、大きな岩の陰にじっとしている影を少なからず見つけることができた。しかし彼らの大部分がフライに対してすこぶる鈍感である。頭の上にフライを浮かべても、私が諦めた頃になってやっと浮上してくる。彼らは昼間、餌を摂らないのか。大した餌が流れて来ないから昼間は寝ているのか。私は小滝の雪渓の間にいた同じように眠っているイワナ達を思い出し、何とか彼らの目を覚まさせる方法はないものかと、様々なフライを試し始めた。幸い、ここはいつでも簡単に来ることができるし、寝ている魚を見つけるにも事欠かないから好都合だった。
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初期のキラービー。黒の他、レッドやグリッズルなど、数種類のハックルを使い分けていた。

渇水のプールを一匹でクルージングしている魚は、何時の場合も問題なかった。餌を摂りたいからプールの中をゆっくりと回遊している魚だ。フライを落とすと例外なくそれを捕らえた。気をつけた事と言えば、魚の目の前にフライを落とさない事と、大きすぎるフライを使わないことくらいか。フライのサイズが16番以下であれば、パターンはあまり関係なかった。尤も、日によって落ち込みの周辺に無数の羽蟻が溜まっているほど、河原には蟻が沢山居たが、他の渓と同様、アントのパターンは成績が思わしくなかった。

最初に私が試したのは、小さなブラックコーチマンだった。ブラックコーチマンは千曲川でも、小滝川でも、この野呂川でも大変良く釣れたフライであるし、眠っている魚に効果が有ったから、まずはそれを16番や18番に巻いてみた。
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キラービーをくわえて上がってきたイワナ。
30センチを少し下回るのがこの渓の平均サイズだった。

この狙いは明らかに成功した。魚の反応は劇的ではないものの、確かに良くなった。私が知りたかったのは、それがピーコックのせいであるかどうかであった。もちろんそれだけで判断できる問題でないことは判っているが、やはり気になる。それならピーコックや、それに似たマテリアルを多用したフライを使ってみたらどうなるだろう。私は直ぐにでも実験したかったが、探してみると、ウェットフライにはアレキサンドラという極め付きが有るが、ドライフライは何処を見渡しても見つからない。
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キラービー。1976年頃から黒のハックルを専ら使用するようになった。

私はブラックコーチマンを巻くためにアムハースト・フェザントのティペットを選んでいて、ふと頭に目が向いた。アムハーストの頭にはグリーンの光沢に富んだ小さな羽がびっしりと生えていた。これが良い。私は誰もマテリアルとして使ったことのないその小さな羽を2枚揃え、14番と16番のフックの上にフラットに結んだ。ボディには勿論ピーコック、それも光沢の特に強いソードを巻いた。ボディの残りは赤、または黄色のグースクィルを巻き、ハックルにもちろん黒を使った。こうして出来上がったフライを携え、私は直ぐに野呂川の谷間へ向かった。結果は上々であった。フライが日陰に入ると少々見辛くなるのが欠点だが、魚の反応はこれまでとは比べものにならないほど活発になり、淵の底から飛び出してくる魚に驚かされる事もしばしばであった。この時以来、キラービーは真夏の渇水期になくてはならないフライとなった。

-- つづく --
2001年04月01日  沢田 賢一郎