三年目の春
私が長い年月、魚を釣り続けたことによって身につけた哲学の一つに、「釣れない釣りを続けない」というのがある。魚が釣れないことに慣れてしまってはいけないと言う意味だ。釣れないのが当たり前になると、釣れなくても悔しくなくなる。悔しくないから、そのうちに釣れるだろうと呑気に構え、工夫も努力もしなくなる。釣りをしているのか、水辺の景色を見に来ているのか判らなくなって、いよいよ釣れなくなる。この悪循環を断ち切るには、魚を釣るしかない。どんなに頑張っても釣れないと判ったら、さっさと止める。釣れない釣りに慣れないためだ。
水が多いとウェーディングが辛くなる。それでも渇水よりずっと希望が持てる。
その私が九頭竜川に通い始めて3年目の春がやって来た。
最初の2年間、川は私に対して全くと言ってよいほど本来の姿を見せてはくれなかった。まともな条件で釣りをしていないから、魚が釣れなくても私はいっこうに気にしていなかったが、さすがに2年も経つと、周囲には「無駄だから止めた方がいい」と言う人さえ居なくなった。私ははからずも2年目にサクラマスを見てしまったから、3年目になったからと言って、いささかも戦意の衰えることなどなく、春が待ち遠しくてならなかった。
ルアーの名人
私が3年目になってますます闘志を湧かせた理由の一つに、地元でルアーの名人と呼ばれている方に出会ったことがあげられる。市村さんと言う方で、残念ながらもう何年も前に他界されてしまったが、当時、私が九頭竜川に出掛ければ、どこかで必ず出会った方だった。何時も会うのも当然で、彼はよほど天気が悪く無い限り、毎日必ず川に出掛けていた。勿論、過去に多くのサクラマスを釣っていたし、川の状況にも精通していた。
その市村さんから私は多くのことを聞かせて貰った。天気と水の状況、季節の移り変わり、更に増水と減水の早さ等々。そうした情報は、魚が釣れた日の記録と同じように私にはとても有り難く、それによって本当に勇気づけられた。
その上、私にとって最初の2年間に相当する1986年と1987年は、川が特に荒れたこと。その中でも私がたまたま出掛けた時が最悪だったことが判った。運が悪かったことが判っても、悔しいことに変わりない。しかし諦めずに3年目を迎えるには良い知らせだった。
なにしろ、この先何年続けても、これまでと同じように濁流と渇水しか見ることができないのではと、それだけが気掛かりだった。もしそんなことになれば、これはもう釣り以前の問題だ。私がどんなにもがいても解決できることではない。
送電線の上に延びたプール。増水する度に成長した。
撤退
3年目のシーズンを私は3月の半ばから始めることにした。もう少し早くしたかったのだが、毎年サクラマスが釣れ始めると言われている時期に合わせた。
さて3年目の川はどんな顔を見せてくれるだろうか。私はその日の朝、例によって岐阜で森さんと落ち合い、福井を目指した。岐阜は曇り空だったが、関ヶ原の付近までやって来ると雲間から青空が覗き始めた。まずまずの天気だ。前日の朝、九頭竜川は雪代混じりの水が大人しく流れていると言う情報を得ていたから、私は最初に向かうポイントのことばかり考えながら車を走らせていた。
北陸道に入った頃から雲行きがおかしくなってきた。長浜辺りまで来た時、雪が舞い始めた。行く手の空が暗い。その雲の中に入った途端、猛烈な吹雪に見舞われた。午前中だというのに、ライトを点けてゆっくり走らねばならなかった。木之本まで来た時、さすがに不安を感じたが、そのまま走り続けることにした。福井はもう目の前だ。しかし遂に敦賀で引き返せざるを得なかった。道路の上は既に30センチ近い積雪となり、タイヤチェーン無しで走れる状態では無かった。
ほうほうの体で引き返してみると、岐阜はその日の朝よりずっと綺麗に晴れ渡っている。しかし車にへばり付いた雪が、もう一度出掛けないよう私に忠告しているようだった。
機屋裏プールの流れ込み。雪代によって河原は全て覆われている。
サクラの影
問い合わせした結果、突然の大雪で引き返した日、川は多少増水しただけで濁流にはならなかったことが判った。結果的にまたまた門前払いを食ったとは言え、川に行けさえすれば釣りすることが可能だった。
今年の気候は順調だ。翌週、私は当然のように九頭竜川へ向かった。道路脇には雪の欠片もない。先週の雪が嘘のように暖かい陽射しに満ちている。
川は増水していた。しかし濁ってはいない。雪代特有の青白い水が河原に溢れていた。
濁流ばかり見ていると、雪代が綺麗な水に見えてくる。
私は数カ所のポイントを巡り終えると、昼過ぎに五松橋に戻り、幼稚園前プールの右岸側に向かった。このプールの右岸はコンクリートで護岸され、水際まで柳の木が生い茂っている。ところがその間に2箇所だけ開いている場所があった。その内の一つは市村さんの得意とするポイントで、その日は森さんがそこに入っている筈だった。
私が着いた時、彼はその柳並木の切れ目からロッドを振っていた。水位は足下の護岸すれすれまで上がっており、他にロッドを振れる場所は殆ど無いに等しかった。
幼稚園の対岸で森さんのGPを何かが捕らえた。
私はロッドを担いで護岸の上を下流に向かって歩いてみた。五松橋に近づくにつれ、プールは浅くなると共に流れが速くなり、とても魚が休むとは思えなかった。この水位では森さんの釣っている場所しかないだろう。
私は歩いてきた護岸の上を柳の枝をかき分けながら戻り、森さんの直ぐ上流側に立ってラインを引き出し始めた。その時、彼のロッドが突然空に向かって持ち上がるのが目に入った。同時に「来た、魚だ」という声が聞こえた。
彼のロッドは大きくしなったまま脈を打っている。確かに魚だ。私は彼のフライを捕らえた魚が何か知りたかった。我々の立っている右岸側は流心に近いため、水深もあり流速も速い。この冷たい太い流れにウグイやニゴイは居ないだろう。それならサクラマスに違いない。
やがてその魚は水面近くに姿を現した。透明度の低い雪代の中で、銀色に鈍く光っていたような気がした。もう少しではっきり見える、そう思えた時、水面に水飛沫だけを残して消えてしまった。
逃げられたため確認できなかったのは残念だったが、GPをくわえたあの魚はサクラマスに違いない。断じてそうでなければいけない。そんな信念のようなものが我々にあった。
何故、どうして、何で・・・
何かがおかしい、どこか間違っている。森さんのフライを捕らえた魚は絶対にサクラマスだ。それに疑いを挟む余地は無いように思えた。それならば、どうして今まで当たりが無かったのだろう。この時期になってやっと魚が遡上して来たのだろうか。あの魚がそのはしりだったのか。
もしそうだとすれば、我々は今まで空っぽの川を釣っていたことになる。確かに市村さんも未だ釣っていない。ルアーで釣れないなら、フライで釣れる訳が無いのは納得できる。しかし本当にそうなのだろうか。
草むらまで飲み込んで雪代が流れる。数少ない魚と巡り会うには、少しばかり豊か過ぎる。
もしかすると、私はサクラマスを釣るにあたって根本的な間違いを犯していたのではないだろうか。川には我々を除けば一人の釣り人も居ない。私の釣り方が正しいのか間違っているのか、自分自身で検証するしかない。
私は今までの釣り方が全く違っていたとは思わなかった。しかし何かが違うことだけは感じていた。如何に運が悪かったとはいえ、釣れなさすぎる。
「サクラマスをフライで釣るなんて、砂漠で一粒の金を探すようなものだ」当時、そんな言葉を聞いたこともあったが、それは釣り方を省みず、運だけを頼りにした場合の話だろう。適切な方法を発見すれば、茶碗の中の金の粒とまでいかなくても、せめてバケツの中から見つけるほどに確率を上げられる筈だ。
見渡す限りの水。この匂いを嗅いでサクラマスは遡上を開始したろうか。
私は目の前の九頭竜川に、充分釣りの対象になるくらいの数のサクラマスが泳いでいると確信していた。一つのプールに何匹ものスティールヘッドが居たって、釣れるとは限らないのだ。まして、釣り方が適切でなく、魚の数がもっと少なかったら、釣れないのが当たり前だ。
釣り方を考え直そう。魚の数が少ないのは確かだが、居ない訳ではない。今こうして見渡している広大な幼稚園プールに一匹は間違いなくいた。そうだ、一匹でも居れば良い。合流点も機屋裏も8号線下にも、それぞれ一匹づつ居れば良い。それだけの数しか居なくても、釣れるようにしよう。
その日の午後、そして翌日の午前中、私はポイント巡りをしながら釣り方の見直しを始めた。
-- つづく --
2002年02月24日 沢田 賢一郎