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桂川編  --第99話--

禾生(カセイ)

桂川の凄さが判ってきてからも、私はシーズン初期だけイブニングライズを釣るのに忍野へ出掛けた。当時、その季節に限ってブラウンやニジマスの大物が釣れる可能性が桂川より大きかったからである。桂川の魅力はヤマメであったが、3月から4月にかけて釣れるサイズは25〜35cmほどしかなかった。

その大きさは一般の尺度からすればとんでもないことだが、忍野や桂川で釣りをすると、魚のサイズに対する感覚がおかしくなってくる。そのくらいでは大物ではないと言うことだが、それよりも凄い早さで育つことが判っていたから、30cm以下が珍しくなる5月まで待ってから釣るつもりでいた。
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万能パターンとして知られるメイフライ。テンカラ釣り師が自慢していた桂川用必殺毛針は、このメイフライからテールとリブを取り除いたものだった。

人の動きも私にとって都合が良かった。忍野は5月から釣り人が増え出す。一方、桂川は5月になると急に人が減る。そのような訳で、私は当時5月の連休を境に、忍野から桂川に行き先を変えるのことが暫く定番となった。

都留から更に下流へ向かうと禾生という所にダムがあった。一般的なダムと言うには少しばかり小さいが、桂川では相模湖の上流にある最大のダムと言うか堰堤であった。私が未だ桂川本流を釣る前、そこは禾生のダムと呼ばれ、大きなヤマメが釣れる場所として近隣に知られていた。ところがフライは勿論、ルアーを使う人も居なかった時代の話なのに、毛針で釣ると言うことだった。私はとても興味があったので地元のテンカラ釣師に訪ねると、その釣り方が変わっていた。使う毛針は鮎かヤマベ用の小さいもの。それを1本の糸に5本以上結び付ける。更にその先に重りを付け、鮎竿か投げ釣り用のリール竿を使って沈め、そのまま置き竿にしておくというのだ。
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増水した川茂堰堤の上流部。1986年5月21日。

やがて魚が毛針を食ったら、糸を切られないよう暫く竿でいなす。そのうち他の毛針が魚の身体のあちこちに絡みつき、魚は動けなくなって上がって来るというものだった。私はどうしてそんなおかしな方法で釣るのか訪ねたが、大きなヤマメは鮎を釣るような小さな毛針しか食わない。しかし鮎用の毛針ではあっさり切られてしまう。そのため何本も束にして簡単に切れないようにするのだ。その釣り人いわく、禾生のダムでヤマメを釣るのにこれ以上の方法は無いと言うことだった。

私はそれを聞いた当時、俄に信じられないでいた。大きなヤマメがどうしてそんな小さな毛針しか食べないのかも判らなかった。結局、真偽のほどを確かめる機会もないまま、私はその後、忍野に通うことになってしまい、禾生のことはすっかり忘れていた。私はその話を聞いてから15年も費やし、忍野から桂川を下り禾生のダムの直ぐ上まで降りてきた。いよいよあの話の真偽を確かめる時がやってきた。

丸太

1985年7月の初め、私は数人の釣友と都留で落ち合い、いつもは支流の大幡川の出会いから川に降りるところを、更に下って発電所の放水口を越し、病院の裏手から川に降りた。夕方の谷は一面モヤが立ち込め視界が悪かったが、下流のそれほど遠くないところに禾生のダムがあるはずであった。しかしその日は午前中強い雨が降ったため、川が増水していただけでなく周りの様子も良く判らないことから、我々は取りあえず降りた場所の周辺を釣ることにした。

私は川岸を歩いて少し下ってみたが、川は何の変化もない瀬となって流れていた。その直ぐ下に中州が出来ていて、その向こう側に良さそうな淀みがあったが、流れは速く近づくことができない。更に下流へは川を渡らないと行けそうもない。私は仕方なく上流へ戻った。
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川魚と思えない体躯をした42cmの丸太ヤマメ。体重が1kgを超えるヤマメは極めて希だ。

降り口の近くまで戻ったとき、その辺りを釣っていたはずの鈴木俊一氏(その後、御殿場市にある東山湖のキーパーとして活躍し、今日に至っている)が私に気が付いて手を振っていた。その手の振り方がただの合図でなく、何か急を知らせるような素振りに見えたので、私は急いで駆けつけた。薄暗くなっていたが、私には彼の足下で横になっていた魚が直ぐ目に入った。それはニジマスなら騒ぎ立てる大きさではなかった。しかし背中の模様から、私はそれが驚くべきヤマメであることが判った。

6番のジャングル・アレキサンドラをしっかりくわえたヤマメの長さは42cmであった。42cmと言う全長のヤマメを、私はそれまで何匹か釣ったことがあったから、長さに驚くことはなかった。しかしその丸太のような厚みと太さは異様であった。ヤマメのイメージからほど遠く、まるでカンパチが川に上がってきたようだった。通常40cmほどのヤマメは、体型の良いものでも体重700g前後である。それがその丸太ヤマメは何と1kgを超えていた。
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急成長中のヤマメ。まるで小さなサクラマスのようだ。

私はその巨体を眺めていて、その昔、忍野を知った頃を思い出していた。初めて忍野を見たとき、私には田んぼの中の水路にしか見えなかった。その川にブラウンが居ることも、それが想像を絶する大物であることも全く予見出来なかった。少し経って、忍野が持つ魚を養う能力の高さが解った時は本当に驚いた。私はそのとき桂川に対して同じ驚きを感じていた。この川の持つパワーに身震いしていた。

このヤマメは超大物である。しかるに老成魚ではない。それどころか、その辺の渓流にいる尺ヤマメより若い。正確な年齢は解らないが、運良く長生きして大きくなった魚でないことは誰の目にも明らかだった。と言うことは、この川には間違いなくもっと大きいのが居る。

ここまで無傷で短時間に大きく育つには、それ相当の環境が必要だ。都留より上の本流で釣れた魚とは一線を画していたから、何か他に理由があるだろう。それは下流にある大きな水溜まりに違いない。その大きな水溜まりはダムと呼ぶ場合に禾生を名乗っていたが、堰堤と呼ぶ場合、地元ではやはり地名をとって川茂の堰堤と呼んでいた。後日、その水溜まりをつぶさに観察した結果、やはりダムと呼ぶには小さすぎるように思え、我々の間ではそれ以来「川茂の堰堤」の呼び名が定着した。
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カネマラブラックを捕らえたニジマス。25cmの魚と同じ頭を巨体に着けているのが何とも可笑しい。

丸太ヤマメを目の当たりにしてからと云うもの、私は川が平水になるのを待ってその付近を探索した。そして稚魚放流、あるいは自然繁殖したヤマメやニジマスが堰堤の溜まりの中で大型化し、川に遡上するらしいことが解ってきた。私は遡上する時期やタイミング、そしてその範囲を更に知りたかったのだが、この年は天候が悪く、夏は幾たびも濁流に見舞われ、まともな釣りが出来なかった。しかし数少なかったが、更に太ったヤマメやニジマスが釣れたことで、翌年に向け超大型の期待は否が応でも高まった。

肝心の置き竿でヤマメを釣る方法に関して、私は似たような方法で釣りをしている人を見ることがなかった。また、近くに長年住んでいた漁協の監視員に尋ねてみたが、何の情報も得られなかった。今となってはそれが本当だったかどうか、確かめる手立てもない。

-- つづく --
2006年10月10日  沢田 賢一郎