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-- FLY FISHER`S GREAT CONTRIBUTIONS

シーズン回顧録:黄昏の桂川で・・・・

孫悟空(SON-GO-KOO)
フライフィッシング歴24年

第5部:秋・・・再び川に生命感が溢れる時

8月中旬から秋風が吹き始めるこのあたりは、都会とは凡そ1ケ月の季節差がある。昼間蝉が鳴いていても、夕方になるとコオロギが寂寥感に満ちた羽音を奏でる。反面、川ではセッジが飛び始め、再びしっかりとしたイブニングライズが起きるようになる。シーズン終盤、ラストチャンスに大型魚を狙うには最高の条件が揃う。

秋は釣り人を川に駆り立てる。もう直ぐ禁漁だと思うと、考えることはみんな同じである。そんな訳で釣り場は大混雑を呈する。特にサンデーアングラーである私は時に釣り場に入れないこともあるくらいだ。毎年のことであるが、事情が許す限り釣り場に通うが、思い通りのポイントに入るには昼間からその場で待っていなければならない。私は待つことが苦手なので、可能な限り空いている場所を探し、新たなポイントを見つける位の気持ちで釣りをすることにしている。

そんな釣りを続けている時、ある日の釣りを境にある疑問を抱くようになった。それはあるプールで釣っていた時のことである。プールと言っても流れこそイブニングライズに最適であるが、近くに魚が隠れる場所がなく、以前から期待を持っていなかった場所であった。

午後6時を過ぎるとどこからともなくセッジが飛んできて、周辺の水面でライズが始まったようだ。周囲から楽しそうな会話が聞こえてくる。私はこの流れでは見込みがないと思いながらも、秋のライズは短いので、すばやく#10のフライを2本結んで、ライズの起きない水面に向かって釣りを始めた。

ディーフライ

幸運にも何匹かの小さな虹鱒が釣れたが、やがてライズの間隔が次第に長くなり、魚の気配が消えうせていった。私はここでフライを#6のディーフライに変えた。ストリーマーの雰囲気を持ったフライだが、魚に発見されやすいように僅かな動きにもよく反応するマテリアルを使っている。

私は以前から魚の行動範囲にある疑問を持っていた。彼らはどこまで餌を取りに出て行くのだろうか。私の釣っている場所の20m程下流には魚がたくさん入っているプールがある。彼らはそのプールだけで餌を取るのだろうか。それとも私が釣っているような、浅いちっぽけなプールまでやってくるのだろうか。

もうほとんど見込みがないことは分かっていたが、私はその大きなストリーマー風のフライを投げ続けた。30投位しただろうか。投げるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。魚がいればとっくに喰うか、見切って逃げたであろう。何より全く当たりがないのは、釣れる可能性がある魚がいない証拠だ。

私は下流のプールに移動したかったが、まだ釣りをしている人が数人いて動くことができない。仕方がないので半ば惰性でフライを投げ続けた。更に30投程した時だった。スイングの中盤でラインの先端付近で水面に大きな渦が逆巻いた。私はその渦が自分のフライに襲い掛かった魚のものであることを直感し、ゆっくりロッドを起こした。ドスンという重たいショックが伝わり、ロッドが絞り込まれていく。私は釣れた嬉しさよりも、この魚がどこにいたのかが気になって仕方がなかった。

この魚は初めからここにいたのか。私が何回もフライを流し続けた結果、遂に我慢できなくなって襲い掛かってきたのか。それとも下流のプールから餌を探しに上流にやって来たのだろうか。更に私が繰り返し投げたことが魚を呼び込んだのか。やがて上がってきたのは45cm位のブラウンだった。私は色々な仮説を考えると、次回の釣りが待ち遠しくて仕方がなかった。

課題

翌週、私は再び流れの同じ場所に立っていた。あまりに単調で浅い流れで人気がないのだろう。今日も誰も入っていなかった。明るいうちに川中を見渡したが、どう見てもこんな浅い流れに大きな魚がいるとは思えない。この流れを見たら、週に一度の貴重なイブニングライズを待とうとは思わないのも頷ける。私ははじめから先週ブラウンを釣ったフライと同じものを結んだ。今日はひたすらこのフライを投げ続けてみよう。

フライを投げ始めてしばらくライズは起きなかったが、辺りが薄暗くなると私の前の水面にもライズが起こった。先週よりも今日は幾分ライズが少ないようだ。下流の大きなプールに移動したい衝動に駆られたが、幸い(?)ルアーマンが入っていた。迷いは禁物だ。魚よ。ここまで上って来い。私は呪文のように繰り返し唱えながら、ひたすらフライを投げ続けた。

水面にはライズもなく、魚の気配が全く感じられない。私は時折吹く肌寒い風に我慢できず、ロッドを放り出してレインウエアを着込んだ。手ごろな大きさの石に腰を下ろし、携帯食を食べながらゆっくり休憩した。辺りを見回すと、いつの間にか川辺に残っているのは私ひとりだけになってしまった。

私は再びフライを投げ始めた。ドラマはものの数投もしない内に起きた。対岸下流の水面に勢いよくフライを叩き込み、直ぐにリトリーブを始めた時だった。ラインを引いた左手がドスンという衝撃とともに止まった。でかい。私はとっさに周囲を見渡した。対岸に大きな障害物が一箇所ある。そこに突進されたら万事休すだ。

魚はあっという間に下流に向かって10m程ラインを引き出した。爆走という言葉がぴったりだ。その場で一度止まった魚は大きく跳んで急に対岸に突進した。魚が水面に落ちるドッポーンという音とともに、暗い水面に白い大きな飛沫が上がった。まずい。私は一か八かラインを緩めた。これが効を奏したか否かわからない。でも幸運にも魚は対岸に接近せずに、川の中央付近をゆっくり上流に向かって動き出した。私は余ったラインをリールに巻き取り至近距離で魚と対峙した。しばらく綱引きを繰り返したが、魚はもう突進する力は残ってないようだ。私は魚を緩やかな斜面に誘導し、一気にネットに引き込んだ。時間の感覚が曖昧だが凡そ7分程のファイトだったように思う。

私は今まで自分が釣っていた辺りをまじまじと見た。真実は魚のみぞ知るであるが、私にはこの魚がこんな浅い場所にいたとは思えなかった。禁漁日までまだ5日程あるが、もうこれ以上釣りに来ることはできない。疑問の解明は来年に持ち越しとなった。私はすっかり歩きなれた小道を一歩一歩踏みしめ、時折川面に目を向けながらゆっくり帰路についた。

結び

寝ても覚めても魚を釣ることばかり考えていたシーズンが、またひとつ終わった。ひとつの課題を超えたと思った途端、また別の課題が出現する。今年は昨年よりはるかに多くの魚を取り逃がした。自分では昨年の経験を踏まえて今シーズンに臨んだつもりであったが、気がつけば魚に完全に翻弄されていた。挙句の果ては今まで何の疑いもなく行ってきたことに、大きな疑問が生まれ、新たな知見を得るなどとは程遠い世界で彷徨していたというのが、正直な気持ちだ。ウエットフライフィッシングが深遠なる世界だと言われる所以であろうか。私は改めて人間と魚の持つ感覚の違いを思い知らされ、魚の気持ちになって考えることがいかに重要かということを、思い知らされたシーズンであった。

最後に一言。

私はキントンという空を飛べる道具をもっている。いつも上空から眺めていると、人の迷惑を顧みず平気でウエーディングする方がおられる。この川は決してウエーディングしてはならぬぞ。その無謀で他人の迷惑を省みない行動が、どれだけ多くの人の楽しみを奪っているか考えてみるが良い。三蔵法師様も激怒されておった。紳士の釣りを嗜むのであれば自重して下され。

孫悟空