大物、それはいつも見慣れている魚ではなく、簡単には釣れない魚である。その魚の素晴らしい姿を見るたび、それまでの苦労など、一瞬のうちに吹き飛んでしまう。そんなふうに感じられる大物を、釣りたいと願う気持ちは誰にでもあると思う。そんな思いが、多くのアングラーを、河原に泊まり込ませるほど熱中させている。どうやら、私もその一人らしい。
魚を相手に、どうしてそれほど夢中になれるのか、とよく人に聞かれる。自分でもそこまで拘ってどうするのだ、と思うことも確かに何度かあった。
未曾有の大豪雨にやられたり、増水と濁りの間、何日も竿が出せず、失意のまま帰宅するはめになった。そんな苦い思い出もある。いつも大物を狙つているから、必ず釣れるかというと、そうでもない。幾日もの間、粘りに粘っても、魚の気配すら全く感じられずに、終わってしまうことも何度もある。釣れない日が続くと、いつも悩み、迷いや疑問で頭がいっぱいになってしまう。
それでも、私は夢中で通い続ける。それは、大物と渡り合うときのあの緊張感、そして、その魚を釣り上げたときの、あの興奮と感動がどうしても忘れられず、もう一度味わいたいと思うからだ。
私は、大川の流れに挑むのが好きだ。それは、大物に期待が持てるからだ。だけど、大きな川は魚の密度が薄い。その上、大物を釣る難しさは、環境の変化に加え、最近の釣り人の数も手伝って、これまでに比べ、計り知れないほどに厳しくなっている。こうした中で、大物が釣れるかどうかは、運もあると思うのだが、運があっても、そのチャンスを無駄にしてしまえば、言いようのない屈辱と、大きな敗北感を味わうだけだ。
私は、チャンスに遭遇しても、絶対外したくない。チャンスがあれば、狙った大物は確実にものにしたい。そう思うから、いつでも、どの場所でも、持てる力をすべて発揮できるよう、様々な状況に対処できるようにと、ただ、ひたすらに、自分の技術を向上させて、使用するフライを工夫して巻き、あらゆるテクニックを駆使して、自分の理想とする大物に挑むのだ。
勿論、私は大きなヤマメを釣るのが理想だ。
体長が40センチを超えてもパーマークが鮮明に残る、本流育ちの大ヤマメだけにターゲットを絞り、それを毎年ものにするのは容易なことではない。それは多くの場合、努力と時間を伴い、ときとして苦痛をも覚悟しなければならない。それでも私はこだわり続け、水量が安定して、ポイントが絞りやすくなる初夏から真夏、そして、初秋にかけての数ヶ月間に、そのすべてを賭けるのだ。
そんな意気込みも、98年のシーズンは、8月中旬からの大雨と、駄目押しともいえる台風のため、打ち消されてしまった。待ち焦がれる思いは、長く2週間以上にも及んだ。どうやら釣りが出来そうだ、という噂を聞き、居ても立ってもいられず、いつもの川に向かったのは、台風の影響がまだ少し残る、9月上旬であった。
早朝、いつもの土手に車を止め、緩やかな勾配を降りて行く。向かっているのは、この川に幾つかある、私の好きなポイントの一つ。実は、これまでに40センチ、42センチ、と毎年大ヤマメを釣り上げている、そんな良い思い出のある場所だ。
私のタックルは、9フィート1インチ、8番のスベースシューター、それにフローティング・ラインをセット。セッジの多い川だ、ということもあって、フライは、リード・フライに、8番のグレート・セッジ、ドロッパーに、6番のマドラー・ミノーを結び、セッジに見立てた得意の釣り方で、私は、いつものように大ヤマメを狙おうと思った。
さいわい、台風の傷跡といった様子は、周囲のどこにも見当たらない。この場所では、よほどの悪条件に見舞われない限り、期待を裏切られることはない。私は、そう確信していた。ポイントに近付くにつれ、ほのかな期待に胸がときめいてくる。その一方で、心に引っ掛かっている何かが気持ちを不安にさせていた。そんな期待と不安の中、ネコヤナギの生い茂る小さな林を抜けると、やがて目指すポイントの流れが見えてきた。
生憎、川は増水、濁りは入ってないが、岸辺の白い石と、白っぽく変わった川床の色が、出水の程度を想像させ、見るからにコンディションは良くないといった感じだ。胸の中で一度ふくらんだ期待が、しおれていくのがわかるほどに、不安が込み上げてきた。
「この状況では・・? 無理かもしれない・・・」と、川に降りた私は、いつもと比べ、10センチほどの増水で、速くなった流れを見て、そう思った。まだ5時半だ。早朝ということもあり、河原には人影もない。私は一度車に戻り、ゆっくり作戦を立て直すことにした。
結局、増水対策として、フローティング・ラインではフライをコントロールするのに限りがあるので、水の状況に対処するため、フライラインは、フラットビームに繋いだST・10S・タイプⅡに替えた。10番のロッドとして選んだ14フィート6インチのダブルハンド・ロッド、グリルスにラインをセットした。
私流のフライの選択や使い方はというと、水温が適温、濁りはなし、といった条件での増水であるから、大ヤマメは、深場に沈んでいるとしても、彼等の頭上を流れるフライには必ず反応する。こういう時は、フライを深く沈めることよりも、魚の頭上をゆっくりと横切るように操作する方が良いはず。
私は、そう確信していた。それに、この季節、本流の大ヤマメは、秋の産卵期を前に、小魚や大きな昆虫を捕食するようになり、動くものに強い関心を示すようになるので、動きの良いフライに反応する確率も高くなるようだ。
そんな大ヤマメを相手にするのだから、良く泳ぎ、その動きの良さで魚を誘惑する、プラスティックのチューブ・フライが良さそうだ。そう判断した私は、1インチのプラスティック・チューブのシャンクに巻いた、数種類のウェットフライ・パターンの中から、取り敢えず、最近フライの使用頻度が高いプロフェッサーを選び、R3・10番のトレブルフックに結んで、チェーブーフライを使つたパワーウェットで広範囲を探ることに決めた。
釣り方は、このフライの良さを引き出すため、当然ダウン・アンド・アクロス。勿論、ベストのポケットには、1インチと1.25インチのプラスティックとアルミのチューブに巻かれた、ダンケルド、グレート.セッジ、更にピンク・ブルー、グリーン・ライム、ゴールドといった、アクアマリンが代打用として、私のフライ・ボックスに控えているはず。
ところが、どういう訳か入ってない。途中でそれに気付き、あわてて車に引き返した。そんな逸る気持ちを抑え切れずに、今度は、土手の勾配を一気に駆け下り、急いで川に向かった。
私が大ヤマメを狙うポイントは、長さにして、50〜60メートルほどある大きな瀬で、上流から見て左側は、ネコヤナギの生い茂る狭い河原が続き、その下は背後の崖から突き出た岩盤で、下流は通らず。対岸は、広い河原があって、この川最大の支流が流れ込んでいる。瀬の流れは、流れ込みの頭から、支流との合流点を経て、ヒラキに至る。そこからは、岩盤に沿って白泡となり、階段を滑り降りるようにして、見るからに魅力的な大淵へと落ち込んでいる。この大きな瀬の頭からヒラキまでが、これから狙うポイントだ。
河原に降りて気が付いた。川の雰囲気というか、気配というか、そういったものが、今までとは何か少し違う感じだ。取り敢えず、瀬の頭からヒラキまで、いつもの釣り方で探釣すれば、良かろうが、悪かろうが、大まかな状況は把握できるはずだ。私は、そう考えて、瀬の頭から一歩一歩、ダウン・アンド・アクロスで釣り下ることにした。
川幅約30メートル、流れに立ち込み、9フィート、2Xのりーダーに結んであるプロフェッサ-を斜め下流、対岸に向けてキャストした。キャストした後、すぐ対岸にロッド・ティップを向け、フライがラインより先に下流へ流れ始めたのをよく確認してから、ラインの流れる方へ、ロッド・ティップをゆっくりと移動させる。常にラインのテンションに気を配り、フライが全体的にゆっくりと流れを横切るように操作して、表層近くで水平のターンを演出する。
これは、ウェットフライを使うときの、私なりの釣り方の一つで、こうした、使い方をすると、軽いプラスティックのチューブ・フライは、流れの抵抗で、大変良い動きをしてくれるのだ。
釣り始めてから、更に幾つかの変わったことに気が付いた。川底は全体的に玉石が敷き詰められ、いつもは、川底の石が黒っぽく、それが水生昆虫の多さを物語っていたはず。ところが、川床は白っぽく、頭に2、3大石が沈んでいる他、水面に顔を出すほどの石は、どこにも見当たらない。どうやら、出水のため、川底が全体的に浅くなっているようだ。
この時点では、釣りに関しては、多くを望めないような気がしてきた。実際、ここまでは、釣るより、探ろうという気持ちでいたことは、言うまでもないが、このまま、終わってしまうのではないかという、いやな予感もしてきた。 私は、核心部のことが気になり、そこまでは、大まかに探ることに決めた。
だけど、状況はどう見ても芳しくはないようだ。魚の気配を探ろうとしたが、どういう訳か、ハヤのアタリさえもまるでない。それだけに、川に入って最初の30分ほどで、諦めの気持ちがどんどん大きくなってきた。それでも、とりあえず、ヒラキに至るまで探釣すれば、その後の見通しが立つはずだ、と私は気を取り直して、ひたすらキャストを繰り返した。
釣り始めてから30メートルほど、釣り下ったところで、目指す核心部に近付く。目の前の流れを見る限り、魚が定位する位置など、どこにもないように見えるが、実は、これまでに大ヤマメを釣り上げたのは、合流点下の、支流の筋と本流の筋の間に出来る大きな鏡や、流心と脇の流れの中にある鏡の部分で、この部分は、水深の変化があり、川底をえぐるように、凹型にしている。大ヤマメは、この部分に付いているはず。私は、そう確信していた。
ほのかな期待に胸がときめいてくる。と同時に、それまでの川の雰囲気からくる緊張感の緩みも、この場所に来ると、なぜだか急に引き締まる。一投一投、流れの筋を丁寧に釣ろうという気持ちになってきた。
流心は、瀬の真ん中からやや対岸寄りにあって、フライは、大変流しやすいといった感じだ。私は、雑になっていたキャスティングや、釣り方を改めて見直し、リーダーやフックを点検してから、フライを大きな瀬の斜め下流対岸にキャストした。フライは、思った通りの所へ確実に飛んだ。
フラットビームがラインの位置、そして、フライの流れる方を、刻々と伝える。ロッドに伝わるラインのテンションで、胸が締め付けられ、身体に何とも言えぬ緊張感を覚える。
水深、1.5メートルほどの瀬の表層を、プロフェッサーは泳いでいた。ポイントに入ってから2投ほどしたとき、流心を横切ったフライが、流れの脇にある大きな鏡に差し掛かったところで、ロッドに伝わるラインのテンションが、それまでと少し変わった。
フライを動かそうとロッド.ティップを小さく、少し上下させた瞬間、「ドスン」という強い衝撃が、ロッドを大きくしならせた。合わせた、といった記憶は全くない。いきなりググッ、ググッと強い力で締め込まれるような感じで、14.6フィートのダブルハンド・ロッドが絞り込まれ、魚は流れに乗って、グングン下流へ移動していく。
それは、フッキング後の作戦を練る余裕もないほど、一瞬の出来事であったが、ロッドに伝わるラインの重さが、夢ではなく現実だと敢えてくれた。ラインから力強いパワーが伝わって来る。サーモンIのドラックがジジッ、ジジッ、と鳴ってラインがどんどん引き出される。物凄い力だ。引きの強さからすると、この魚は相当のパワーの持ち主であることが予想できた。
「大物だ!」と思わず叫んだような気がする。40、いや50センチ以上あるかも知れない。大ヤマメだ、という期待感と緊張感で、心臓の鼓動が急に身体全体を包み込む。「ああ、やられる・・・まずい!」、今魚の移動していくヒラキの下は岩盤で通らず、しかも流れはその岩盤にそって白泡となり、長い階段を滑り降りるようにして、下の大淵へと落ち込んでいる。その急流の落ち込みに逃げられてしまうと、99%勝ち目はない。ロッドを水平に倒して必死にこらえる。
ここで、動きを止めさせ、なんとかして弱らせなければランディング不可能。それには、まず、上流側に魚の顔を向けさせることが絶対に必要。更にロッドを抱き抱えるようにして、身体全体で必死にこらえる。
やがて、どうにか魚は落ち込みの少し上で停止した。けれど、こういった状況下では、自分から仕掛けるほかに勝ち目はない。何とかしなければいけない、という一心で魚に近付く作戦を思い立ち、1歩、2歩と、ふんばりながらゆっくり流れを下って、下流に移動を始めた。
ロッドを水平に寝かせたままで、こらえながら強引にりールを巻き込み、自分から魚の居るところに向かって行こうという強引な方法だ。
ところが、この作戦は見事に的中し、魚との距離は、次第に短くなってロッドの長さまで近付いた。
魚と私の間には、なんの障害物もない。1対1だ。こうなれば、こっちのものだ。そう思って、強引に引き寄せようとした。寄せては走り、寄せては走りの連続で、ようやく水面に顔を出したその魚は、増水気味の秋の流れの中で、私の期待に反した顔付きをしていた。
その後も暫く、良い引きを味合わせてくれたが、どうにかランディングできた。
この魚は、逞しく、野生の顔付きをしている。ヒレが張り、オレンジ色に近い朱点をちりばめた、白斑の大きな美しい魚体で、見るからに大川の大物といった感じだ。私は、大ヤマメを釣ったと思って一生懸命頑張っていたのだが、この間、ロッドを持つ私に、心地好い緊張感を与えてくれたのは、実は大きなイワナであった。
そのファイトぶりは、私の想像していた以上のものであった。しかし、私の気持ちは、興奮状態というより、むしろそれまでに感じたことがなかったような複雑なもので、釣れたのは、48センチほどの大ヤマメではなく、大イワナであった。
あれから月日が経過した今、ボロボロになったプロフェッサーを見ていると、あの時、あの状況の中、自分が確信していたポイントで、思った通りの釣りができたことに対する自己満足というか、優越感というか、そして、期待を裏切らぬ、素晴らしいファイトをしてくれた、大イワナを釣り上げたときの満足感といった、そういったことが鮮やかに蘇る。
どうやら、チューブフライのプロフェッサーは、私にとって、幸福感を味合わせてくれる、理想のフライの一つとして、これからも、長く使い続けていくのであろう。
※MIND ANGLER No.14(1999年版)に掲載された説楽和広氏の「大物釣り、我が人生」をそのまま転載して公開いたしました。
SL6 Black Spey Hooks
DU3 Limerick Spinner Hooks
SL4 Single Bartleet Hooks
XD1 Tube Fly Double Hooks
DD2 Flat Perfect Hooks
DD1 Black Terrestrial Hooks
TD4 Old Limerick Wet Hooks
DU1 Silver May Hooks
MU1 Flat Midge Hooks
LD3 Long Limerick Hooks
TD2 Summer Sproat Hooks
XS1 Tube Single Silver Hooks
TD6 Siver Sedge Hooks
SL5 Black Spey Hooks
DU3 Limerick Spinner Hooks