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-- FLY FISHER`S GREAT CONTRIBUTIONS

サクラマス、野性の目覚め 第2章

高屋敷 富士夫(Fujio Takayashiki)

余韻

1993年、サクラマス歴2年目にして6本を手にした私は、夏の渓流でもサクラマスの事が頭から離れず、もう一本釣ったら止めようなどと何時も上の空の状態だった。

何度思い起こしても素晴らしいロッドに伝わる振動、抱き上げた感触一つ一つ、脳裏に焼付いた映像を引き出しては余韻に浸った。

つらいこともあった。肘が上がらなくなるほどまでキャスティングしたり、増水の川を半ば立ち泳ぎのような状態で釣りをしたりと、とにかくがむしゃらだった。熱くなった。「釣れるまで帰らない」そんな気合と根性、野性の勘だけを頼りに果敢に挑んでいた。しかし、経験と勘だけでこんなに良い結果が出るとは思いもしなかった。ならば良いポイントを知ってキャスティングが上達したらもっと釣れるんじゃないか・・・。翌年への期待は嫌が上でも高まった。

パワーウェット

前年に阿仁川で沢田さんのパワーウェットを見た。私はその釣りを見た瞬間にゾクゾクと背筋が寒くなり、全身鳥肌が立った。一言も発することが出来ず、瞬きをする間も惜しむよう食い入るように見入っていた。機械の様な正確さでポイントを短時間で隈なくさらい、キャスティングも超遠投するわけではないから必要な分しか投げない。しかし、無造作に投げたラインを着水の瞬間だけは丁寧に落とす。それも一回のミスも無く。延々ロッドを振り続け、全ての動作から無駄を排除している。必要最小限の動作と力しか使用しない。そう、ドライフライのプレゼンテーションと全く同じ様に思えた。私はすっかりその釣り方に陶酔してしまった。こんなに凄い釣り師は見たことが無かった。

模倣

初めてサクラマスを釣り上げた1993年のシーズンを、私のサクラマス元年と位置付けて、いよいよ2年目に突入した。去年見た沢田さんの釣りをイメージして。

確かに去年は思った以上の釣果を得る事が出来たが、釣り方にこれと言った確証も無いままに終わってしまったので、試したいことが山ほどあった。1匹も釣れなかった1年目とは大違い、いかに「1」と「0」の差が大きいかを身をもって知っていた。ポイント開拓にも精を出した。釣果は落ちても構わないことを覚悟で、圧倒的多数のルアーマンの情報も集めつつ、とても1シーズンで探りきれない米代川水系を隈なく釣り歩いた。だから身軽な単独行が多かった。ロッドは17フィートとランドロック、ラインもインターミディエイトとフローティングを追加し、様々な状況に対処出来るようにした。

勿論、休暇のほとんどは釣りに費やし万全の体制を敷いた・・・つもりだった。しかし、なんとこの年は当たりやヒット数も激減し、50センチにも満たないサクラマス1匹という貧果だった。大きいばかりでなく格別の美しさがあるサクラマス。そのうち来るだろう、そのうち釣れるだろうとあんなに胸膨らませていたのに、見事にその期待は打ち砕かれた。

何が悪かったのか

オフシーズンは大いに頭を悩ませた。ポイントも数多く知った、道具も揃った、去年よりはポイントに届く回数が多くなった、それなのになぜ?

その時導き出した答えは、去年と最も意識して変えた、釣り方であった。私は沢田さんのキャスティング後の動作を完全に真似して釣りをしたつもりだった。何故あの構えなのだろう。淡々と手返し良く、まるで機械が作業でもしているようなつもりでラインを投げ、流し、そして手繰った。これがいけなかった。

まずは水中のラインとフライの状態を思い浮かべた。大川の流れはコンクリートの水路を流れているように見えて、必ず魚の付く変化のある場所がある。慣れないとあの広大な流れから変化を見つけ出すことは難しいが、それでも何回もキャストを繰り返していれば変化が読み取れるようになる。そこで何も考えずに機械的な流し方をしていて釣れるのか、作業のような動作で魚は反応するのか、釣れたとしてもそれは偶然でしかない。沈み石があると解っていたら、スイングのスピードを変えたり、リトリーブしたり、または放って置いたりして魚の食い気を誘う動きを演出する。そう考えたら自ずと投げる方向やラインの沈め方を変化させなくてはならない。私は沢田さんの何を見ていたんだろう。淡々とキャストを繰り返しているようで、実は一投として同じ釣り方をしていないと言うことに気が付いたのだ。

このことは魚を釣る為に何が必要なのかを考えるきっかけとなった。