モンゴルフィッシング -- 2年間を終えて
平野 秀輔
アジアのフライマンとして
フライフィッシングを始めてもう20年以上が経った。今では信じられないことかもしれないが、当初は那珂川水系や伊豆の河川を訪れても、フライロッドを持って歩いているだけで奇異な目で見られたものだった。そんな時代に沢田さんはすでに日本のフライフィッシングを確立していた。そしてその後、渓流のウェットフライフィッシング、パワーウェットによるサクラマスの釣りを作り上げ、さらにはリバーガウラにおいても新たな境地を開拓した。そんな中で必ず付き纏うのが、釣りの技術だけではなく地元との関係やギリー(ガイド)の教育問題、ひいては釣り環境をとりまくシステムの問題である。フライフィッシングを存分に行うためには釣りの技術だけではなく、フィッシャーマンを地元が快く受け入れるシステムが整っていなければならないということだ。
ロシア国境を流れる広大なセレンゲ川。乾燥しているモンゴルではこの水量は圧倒的だ。エグ・チョロート・シスキッドなどモンゴルで有名な川はすべてこの支流群。
沢田さんはこれらの問題を一手に引き受け、解決してこられた。極論すれば今日、サクラマスの釣りや、ガウラで日本人がアトランティックサーモンの釣りを存分にできるのは、技術面でもシステム面でも沢田さんのお陰である。2003年7月、ガウラでご一緒した沢田さんがそれまで如何に苦労されたかを改めて知り、その帰路の飛行機の中で、今後フライフィッシャーマンとしてどのように生きて行こうかとつくづく考えたものだ。
そしてそれから一週間後、仕事で生まれて初めてモンゴルの大地に立つことになる。ウランバートルの空港に降り立ち、見渡す限りの草原の彼方に未だ見ぬ巨大魚がいるかと思うと、それを何とかパワーウェットで釣り上げたいと思うのは当然のことであった。モンゴルで出会った人々も、フライでアトランティックサーモンを釣っているのだったら是非モンゴルの川でのフライフィッシングを広く紹介してくれという。
ただ、どうしていいのか全く分からない。どの川へ行けばいいのか、また当然だがタイメンをダブルハンドロッドで遠投して釣る技術やガイドの情報は全くといってなかった。更にモンゴルは日本やノルウェーと異なりインフラの整備が不十分だから、交通手段や宿泊も考えなければならない。純粋に釣りを楽しめるまでのハードルが途方もなく多くあることが予測された。
2003年7月、初めてのモンゴル。この先をどれほど行けばタイメンに出会えるのだろう。
だがその時、Mary AnneがマインドアングラーNo.14(P102)で書いていた文章を思い出した。「ノルウェーの有名な川、有名なビートも、すべて英国人が開拓した。我々が今こうして釣りを楽しめるのも彼らのお陰だ。我々の時代にできることは何だろう。」と。英国人がノルウェーの釣りを始めた頃のインフラも今のモンゴルと変わらなかった、いや車がなかった分だけもっと酷かった筈だ。そうだ、生意気ながら今ここにその役割が回ってきたのだ。釣りもドレッシングも下手だが、沢田さんを初めモンゴル政府観光局のロブサンジルド・ガルタ氏とその仲間達など素晴らしい人達が、是非やってみたらと言ってくれた。20年以上もフライフィッシングを楽しませてもらったのだから、もう先人の人々が苦労をして作り上げた環境だけで釣りを楽しむことは許されないのだ。
モンゴルでのフライフィッシングは同じアジアの日本人がシステムを作るべきである。そしてそのためには微力ながら努力をしなければならないと、自意識過剰ながらも考えるようになった。