モンゴルフィッシング -- 2年間を終えて
平野 秀輔
2004年の失望
2004年6月の土曜日、初めてフライロッドを持ってモンゴルの大地を踏んだ。モンゴル政府観光局と打ち合わせを取り、せっかくだから最も釣れそうな川へ行こうということで、ロシアとの国境を延々と流れるセレンゲ川の支流であるエグ川へ行こうということになった。当初の予定ではウランバートルから車で14時間ほど行けば、エグ川のポイントに付く予定であったが、実際にそこに着いたのは月曜日の午後3時だった。日曜の朝8時にウランバートルを出発してセレンゲ川の川原に着いたのが午後11時だから、休憩時間を除くと13時間。月曜の朝7時に再び出発してエグ川のほとりに付くまで同じく7時間。実に20時間に及ぶ車の旅である。舗装道路は時間にして全行程の3分の1ほど。特にセレンゲ川からエグ川までは厳しい山道を登る行程となった。
田舎道のオボーで祈る2004年に散々世話になった運転手とモンゴル政府観光局のガルタ氏
ようやくエグ川のほとりに着き、やっと釣りができるということになると、ガイドと言われている人達が5人も来た。どこで釣ればいいと聞くと、その辺のどこでも良いという。そう言う彼らはウェーダーを履いていないばかりか、しまいには釣り道具を貸してくれないかとまで言ってきた。これでは全くガイドになっていない。ただ一緒に遊びに来ているだけだ。それでも何とかスティングレイでレノックを釣り上げ、同行したルアーマンが87?のタイメンをものにした。よし、何とかタイメンを釣って見せるぞと、夜中の11時までロッドを振るが大型のフライには何も食いつかない。疲れもあるし、何か川の水が増えて来たような気がしたことから、本格的な釣りは明日からと、テントで一晩を明かした。
濁流となったエグ川。夕べは中州が川の中心近くまであり、水辺に立ったときには左岸の崖がキャスティングの邪魔になるほどだったのに。何をしにはるばるここまで来たのだろう。
翌朝、テント越しに聞こえてきた川の音は「まさか」というものだった。そのまさかが現実となり、一晩で川は濁流と化していた。本当の絶望感というのはこのことを言うのだろう。それでも何とか釣りができるところに移動できないかとガイド(?)に言うと、この水ではどうしようもないからここでゆっくりしていた方がいいという。
何ということだ。釣れる可能性が少なくても、何とか場所を変えてフライを水面につけなければ可能性はゼロだ。しかし何度となく場所移動を促しても、彼らはそれを無理な相談だと言って、川原で世間話をしているだけだった。それから2日間、濁流の川を眺めているだけの時間が過ぎた。こんなことではモンゴルフィッシングの紹介なんてできやしない。結局、エグでは数匹のレノックを釣っただけで、木曜日の夜にウランバートルへ疲れ切って戻った。さらに追い討ちをかけるように、到着するや否やホテルのオーナーが「ほら、やっぱりフライでタイメンは釣れないだろう」と言ってきたのには、苦虫を噛み潰したものだった。
モンゴルでいつも付き合ってくれるレノック。これは56cm。